2015年8月25日


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先週の土曜日に、新潟市のテクノスクールにおいて、”ものつくり広場2015”が開催され、私たちもミニ畳つくりで参加してきました。

当日、あいにくの雨模様にも関わらず、大勢の人が来られて、いろいろな物作りに挑戦されていました。

私たちも、負けじと多くの皆様にミニ畳をつくっていただきました。総数110名の方に参加してただきました。

その時の様子です。8名の畳屋さんが、まじめな顔をして、一緒に作っています。

少しでも、畳の良さにきずいていただき、畳替えのきっかけにしてもらいたいと思いました。参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

そして、一日ボランティアで頑張ってくれた仲間たち、ありがとう!

また、来年も参加したいと思います。その節は、よろしくお願いいたします。

2015年1月24日


もうすぐ、1月も過ぎようとしています。12月には、雪が降り続いてどうなることかと思いましたが、最近は、ここ新潟市内では、雪が全くと言っていい程、ありません。

当初の予報通り、小雪みたくなってきました。今日は、晴れ間も見え、日の当たるところは、結構暖かく感じられました。(でも、1月ですので、風がさむい!です。)

我が家の窓にお客様から頂いた、かわいいお地蔵様が日に当たって喜んでおります。OLYMPUS DIGITAL CAMERA今年も良い年となることを期待して、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

2014年5月12日


連休での出来事

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今年の連休は、自宅に居ながら、ちょっこっと動く。そんな4連休でした。まずは、初日は、ゆっくり起きて家の中の掃除、片づけを。

二日目は、近くに山菜取りに出かけ、わらびは取れませんでしたが、もち草とタラの芽をたくさん採ってきました。

三日目は、笹団子とちまきを作りました。団子は、餡子から捏ね、笹は冷凍にしていたものを使用。しばるイ草はお手の物。うちにあります。

ちまきは結構うまくできましたが、笹団子は、面倒でした。ゆるくつくりすぎるとふにゃふにゃになってしまうし、きつくすると、蒸かした後で餡が飛び出てきます。なかなかうまくいきませんでした。

でも、味は変わらず、いいお味でした。美味です!初日に五個も食べてしまいましDSC_0644た。そのあと親戚におすそ分けしてきました。

最終日は、春に外壁を張り替えたので、階段の塗装が見場悪くなっていたのを、塗り替えをしました。端っこにたれたりして、ちょっとうまくなかった点はありますが、きれいになりましたよ。

 

2014年3月28日


先週、親戚のおばあちゃんが亡くなり、お葬式に山口県まで行ってきました。急でしたので、新幹線で、行きました。時間は、6時間半かかりました。          初めは、もっと掛かるのでは?と、思っていました。意外に近い! そう感じてしまいました。

東京まで2時間。東京から山口の徳山まで4時間半。すごい時代ですね。もっとも、飛行機の方が全然早いでしょうが、アクセスと待ち時間を考えると、こちらの方が早いのかも?ですね。

行きは、夜でしたので、真っ暗な中ただ走っているだけでしたが、帰りは、結構車窓を楽しみました。富士山を見るのも久しぶりで、きれいに観れました。やはり、日本一の山です。裾野のどっしりとした素晴らしさは、何とも言えません。

只、行って帰ってきただけですが、でも、好い旅行でした。本も読めましたし、ただボーッとして過ごすのもいいものです。貴重な時間をもらいました。

今度は、ゆっくり観光を楽しみに山口へいきたいものです。駅名も覚えましたし・・

2014年2月4日


今、都知事選が佳境を迎えています。細川元総理が、立候補しました。私は、テレビ等でしか、見ていませんが、聞くたびに、命を守る戦いだとおっしゃっています。今一つ、ピンときませんでしたが、先日、FBを見ていたら、細川候補の応援に、南相馬市の櫻井市長が、応援演説をされていました。命がけで、ここまでやってきたこと。そして、細川候補の応援に何故来たのかということを覚悟の思いで語っていました。

ようやく、私も”命を守る”ことの意味を知りました。現場の言葉が今、一番大きなそして、重みのある言葉です。と同時に、それを成していくために、都民の皆さんが、”心を豊かにする”行動をとらなければならない。それが、今なんだと。

私は、東京都民ではありませんが、どうか、都民の皆さんは、今一度よく考えて、投票所に駆けつけてください。日本の将来が、2014年に大きく方向性を違えることなく進んでいくように、動きましょう。

 

 

2014年1月6日


新年あけまして、おめでとうございます。

今日から、仕事始めです。昨年は、皆様に大変お世話になりました。

今年の正月は、ゆっくりと過ごしました。この6日間、雪が1センチもありません。珍しい正月となりました。ただし、まだまだ雪は、これからです。この1年、どうぞお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

2013年7月23日


私は、中小企業家同友会という会に入っております。この会は、月に3回、中小企業家しんぶんという新聞を発行しています。その新聞に先月開催された、”第16回女性経営者全国交流会イン大阪”の記事が載っておりました。その中で、記念講演をされた、福島同友会の高橋さんの記事が載っていました。高橋さんは、2年前の原発事故のすぐそばの南相馬市で、クリーニング店を経営しております。その時の状況を詳しく述べておられます。原発事故の後の発信があまりにもなされていないことにいらだちと、危機感をつのらせていきます。そして、自らホームページで発信を始めました。それが、”南相馬からの便り”です。少し、長い文ですが、以下に乗せていただきました。私たちが、普段聞くことのないまことが載っているように思います。一読されるよう、願ってやみません。

“みんな共和国ができました

お元気ですか。新緑から万緑へと季節が移っても南相馬の田んぼは今年も田植えができ ず荒れ果てたまま放置されています。震災から1年 3ヶ月がすぎましたが、原発事故で振り撒かれ放射能は私たちの暮らしを脅か続けていて、あの日から時空軸はねじれたままになっています。精神科の医師によれば住民は長期的なPTSDという今までに前例のない精神状態に陥ってるといわれています。
そんな中で若者たちが2月に「市民同士で未来への対話をしよう 」と企画した「南相馬ダイアログ・フェスティバル」でシンボルとして「想いのツリー」を置き、そこに市民 (特に子どもたち)の想いを書いてもらました。「今一番知りたいことは?」という問かけの葉っぱのツリーに貼り付られていた「じいちゃんちのすいかをたべてもいいですか」というたどたどしい字の質問を目にしたとき、我々大人は皆、涙があふれてとまりせんでした。

2012 ・2・19 南相馬 ダイアログ・フェスティバル〈想いのツリー〉に書かれた子どもたちのメッセージ
「いま、子どもたちが知りこと」
・いつになったらプール入れますか 小5
・海や川 で遊べるのはいつですか
・いつ、釣りができるようになりますか 小5
・雨でもサッカーができるようになりますか
・いつになったら雪にふれていいんですか? 小3
・すなあそびができるようになりますか
・ほうしゃせんを気にないで外で遊べるのはいつですか? 小5
・飼い犬は屋外で放し飼いにしていて大丈夫ですか
・20㎞内の動物のいのちはどうなりますか?
・いつまでこの状況が続くのですか?
・事故はいつになったら終そくしますか
・原発の状態はほんとうはどうなんですか?
・今度、津波や地震がきても大丈夫なの?
・原発はもう爆発しませんか? 小5
・危くなったら次の避難指示ができるのか?
・私たちが生きているうちに放射能問題はなくなりますか?
・いつ友達が安全に帰って来れますか 小5
・けいかくくいきの中の自分の家に帰れますか? 小3
・警戒区域解除後、住民はもどってくるのか 小5
・帰れない人はどうすればいいんですか
・安全というけれど、将来安心してすごせますか!
・ここに住んでいて本当に大じょうぶなの? 小5
・30キロ以内に子どもがいていいの?
・原町の小学校に通学して、大丈夫ですか
・いつになったら農業ができるのですか?
・以前のような生活を送ることができますか
・まだ見つかっていない行方不明の人の場所
・病院がいつもどおりに戻るまでどのくらいの時間がかかりますか
・いつ仙台までの電車が動きますすか 中3
・国道6号線はいつ全面開通しますか
・福島の電気を使っていた都会では道路などがますます便利になるのに、電気を送っていた福島相双では万が一のための郡山や福島へ道路が満足でない!見捨てたのですか?
・放射能除染の効果が本当にあるかどうか
・放射能はどのくらいあびると危険ですか 中3
・私達が将来白血病、ガンなどなる確率は何%ですか?
・甲状線ガンは、福島県内でいつなってもおかしくない、私たちを死に追いやる病気なのですか?私たちは悪いことをしていないのに、なぜ同じ日本国民からまでも死の町などとよばれなくてはいけないのですか? 中3
・将来、子供が産めますか? 中
・僕はいつまで楽しく生きられるでしょうか
・水道水を飲んでもいいですか
・じいちゃんちのすいかをたべてもいいですか
・政府は本当のことをかくしていたのか
・東電と保安院がついたウソの数
・国が福島のために何をしてくれているのか
・原発は本当に必要なのか?
・これ以上、私たちを苦しめないで!
・地球はどのくらいまでもちますか?

中国では原発事故を核災と表記しているそうです。子どもたちが悲痛な叫びを発しなければならない事態を引き起こした今度の原発事故はまさに「核災」そのものです。私たちは日本で3番目の被曝地になってしまったといえます。そして、その延長上に劣化ウラン弾で苦しむ紛争地の子どもたちの姿も浮かび上がってきます。原発事故は核被曝そのものなのです。核を使ってまで電気を作らければならない理由はいったいどこにあるのでしょうか?広島、長崎を忘れたのですか?と大声で叫びたくなります。

子どもの笑顔を取り戻さなければ!そんな想いが子どもの遊び場をつくろうという新しいエネルギーになり、 ダイアログに集った若者たちが行政を動かし、春休みの2週間、市の施設を無料で借り切り「みんな共和国」という子どもから大人までを対象にした屋内遊び場を実現させました。人が来るのだろうかという若者たちの不安はみごとに外れ、連日大賑わいで延3,400人を超える子どもと、子どもの心を持つ大人が集いました。

子どもたちが、あふれるエネルギーを存分にふりまき走りまわっている。
高校生たちが、自分たちの未来の社会を真剣に議論している。
若いお母さんたちが、赤ちゃんを抱いて頭をよせ合いながら語り合っている。
ばあちゃんたちが、ゆっくりとお茶を飲みしゃべている。
男たちは、高い砦のような遊具をつくりシンボルの旗を掲げた
みんな思いっきり笑っている!
桜平山のてっぺんに出現した夢空間ぺんに出現した夢空間
みんな共和国!

うず高く積まれたダンボールの山から家がうまれ、道がうまれ、お店がうまれ、銀行がうまれ、とうとう地域通貨までうまれました。子どもたちは「暮らし」を思いっきり楽しみ、大人たちは子どもたちのあふれる笑顔から生きるエネルギーをもらっていました。一年間失われていた「普通のくらし」が再現されたのです。私たちが望んでいた「普通の暮らし」とは「子どもの笑顔があふれる日常」であり、これから取り戻そうとしているのは「経済と人間を幸福にするために存在するもの」というあたりまえの価値観の日常なのです。みんな共和国は図らずもそのことを私たちに気付かせてくれました。
南相馬は未来に向かって動き出しています。私たちは放射能と果敢に向き合い、ここで新しいまち、新しい暮らしをつくりあげるチャレンジを続けていきます。

2012 年 6月 13 日”

2013年7月4日


6月21に、待望の隅田川屋形船に乗ってきました。船の名前は”たかはし丸”。30人は楽に乗れそうな大きさです。

今回は、機械メーカーの研修で1泊2日の都内の研修でした。その初日の懇親会が、屋形船での懇親会でした。当日は、あいにくの雨でしたが、とても楽しい時間をおいしい料理と共にいただきました。ただ、ですからメインのスカイツリーはぼやけてうっすらとしか見られませんでした。これだけが残念でした。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

ゆったりと、揺られながら2時間半楽しみました。翌日は、よく晴れましたので尚更ですね・・・また、今度は、家内を連れていってみたいと思いました。スカイツリーのリベンジも兼ねてですけど。

江戸前の天麩羅をその場で上げて食べるのは、美味でした。やはり、アツアツはいいもんですね・・

 

2013年6月11日


少し前になりますが、新潟市の映画館で、”先祖になる”という映画を観てきました。

この映画は、陸前高田で、林業を営む佐藤直志さんの、震災後からの生き様を丁寧に撮った映画です。

佐藤さんは、77歳。震災で息子を亡くし、お母さんと、嫁さんの3人で、避難所に移らず、津波に遭った家で、暮らしています。2階の腰のあたりまで津波が来たにも関わらず、家はしっかりと残っています。その代わり壁はすべて剥げ落ち、柱だけが立っているような、隙間だらけの家で、自炊生活をしています。

そして、春には、米を作り始めます。祭りには、率先して参加し、達筆な字で祭りの手助けをしています。(祭りの祝儀の字は、ほんとすごく素敵でした。)山から木を切り出し、来年建てる家の材とします。

佐藤さんが、云った言葉。”水さえあれば、人間は生きられる。”その通り、実践して避難生活を送っています。

そして、翌年、見事に新築の家を建てました。図面を自分で書いて、茶の間から真正面に朝日が見えるように作ります。

その新築の家で、ゆっくりとお茶を飲んでいる佐藤さんの姿…

すごく素敵な映画でした。新潟では、もう上映されていませんが、また何かの機会に見てください。

自然を受け入れる。自然とともに生きる。何かあっても、そこからまた生きていく。抗うことなく、かといってあきらめることなく、何か、そんな感じを受けました。

 

2010年1月25日


先日、メールを見ていて興味深いページを見つけました。

それは、中学校の先生が、子供たちに今の現状を教えて、そこからどうすれば、自分たちは生きていけるのかを学習するという勉強です。

現状とは、今高校を卒業しても、就職もできずに、パートや、非正規雇用で、月に10万程度しか、収入がない時代で、どう生活できるのか、シュミレーションをしていくことです。

話をしていくうちに、アパート代、電気量、食費、等々、これだけでも、月の給料では不足してしまう。じゃーどうすれば・・・・・

子供たちが喧々諤々・・・話が途切れず出てくるそうです。

現実の今を見て、先生方の努力を頭の下がる思いで拝見しました。

雇用が消えていく。仕事の場がなくなる。

そうならないためにどうすればよいのか?

今の私たちが考えていくことなのだと思いました。